高齢だから、と言わないで。

「もう、高齢だから」と、『ひとくくり』にしてはいけない。生きる力のある人は生き抜くべきだと思う。

「もう、高齢ですからね。」と言わないお医者さんにほっとする。夜の病院で、凛々しい女医さんから治療の説明を受け、男性の看護師さんも家族に明るく声かけをしてくれた。有り難いと思った。

大正12年生まれのおじいちゃんは、孫を抱いて子守歌に『鉄道唱歌』(♪汽笛一声新橋をはや我汽車は離れたり~)を歌ってくれていた。「今日は〇番まで歌ったら、眠ったよ」なんて言っていた。そう、35年も前のこと。

ちなみに今、調べたら、『鉄道唱歌』は399番まであるらしい!! おぉ-。

果たして、おじいちゃんは何番まで知っていたんだろう?

視覚デザイン研究所「あいうえおでんしゃじてん」より

中央分離帯とイチゴ

中央分離帯。味気ない言葉だ。ウチの近くの道路の拡張工事が始まって、もうどれくらい経つだろう。

いろいろ事情もあってなかなかスパッとは進まない。

でも確実に二車線になりつつあり、最終的には中央分離帯もできるとか。それによって細い道から直進できない交差点もできるらしい。

車が多いから、道を広げるのだろうけど、道が広くなると、車も更に多くなるわけで・・・

コンビニもスーパーもなんでも揃っていて、便利だけれど、イチゴのビニールハウスはめっきり減って

住んでいながら、郷愁を感じるのは秋だからかな。

長男をベビーカーに乗せて散歩していると、ビニールハウスから積み立てのイチゴをつまんで、「はい、どうぞ」と分けてくれた、懐かしいのどかな日を思い出す。もう35年も前のこと。

大日本図書「いちご」より

息もぴったり、ママとパパの読み聞かせ。

昨日の「絵本とリトミックの会」(第6回)はワタシ自身がとっても楽しめた。主催者が言うのも変ですが。

というのは、BIG BOOKの「もこもこもこ」をSAWAちゃんのママに。「ぐりとぐら」をRINOちゃんのママとパパに。パネルシアターの「カレーライス」をHARUMAくんのママに演じてもらったからだ。

ママさんやパパさんのお話に、子どもたちも、吸い込まれるように見入っていた。

そして、今回のリトミックでは、ワタシも輪の中に入って、子どもたちの表情をしっかり見ることができた。だから、楽しかった!

大人も子どもも、ワクワクした笑顔はなんてすてきなんだろう。

♪大人も子どももあつまって、広げた手と手をつなごうよ~

 

これがやりたかった。

「手と手はつよいぞでっかいぞ」。

二本松はじめさんの『つながり遊び歌』の数々のうちの1曲。とてもストレートに親子、ともだちとつながろう!のメッセージです。

一緒に歌うときは横つながり。輪になったら、更に楽しい。全校集会の「校歌斉唱」のように縦に整列していては声も出にくいのです。

絵本やリトミックを通じて、親子やご近所さんが繋がって、子どもたちが豊かに育っていけたらと思って、始めたこの会。思った以上にふくらんで・・・・ママさんやパパさんのおかげです。ありがとうございます。

 

ボタンの瓶詰め

ボタンがいっぱい入ったガラス瓶から、ベビー用のベストに合うボタンを1個選んだ。

パール色に金色の縁取りがささやかに入っている、1,5㎝。ちょうどぴったり。

 

母がやっていたように、ワタシも洋服を処分するときには、ボタンは取り外してためていた。

だから、いつの間にか、ガラス瓶いっぱいに。

ボタンを選ぶときは一気にザバーッと出して、あれこれ選ぶ。コレが結構楽しい。

今は洋服を古着やさんに持っていったりするので、ボタンは取り外してはいない。

偕成社「ボタン」より

 

わずか、10分

6年生の朝読。わずか10分。何を届けようか。

『無難』なものではなく、何かを受け止めてほしいと思い、選んだ絵本は

マーガレット・H・メイソン 文 フロイド/クーパー 絵「おじいちゃんの手」

「どうだ、ジョーゼフ、わしの手は・・・」わしの手でお前に教えてやろう。靴紐の結び方も、ピアノも、トランプも、野球も。

しかし、むかし、わしができなかったこと。

それは、パン工場でパン生地をこねること・・・それは許されなかった。

1950年代から1960年代のころの話。

 

ありがたいことに、担任の先生が初めから最後まで、子どもたちと一緒に聞いてくださった。

そして、廊下で呼び止め、穏やかな顔で「深い話でしたね」と感想をいってくださった。クラスにいろんな背景を持つこどもがいるであろう、配慮すべき子どももいるであろうことを思っていると伝えた。

 

それぞれの心に一粒の種を落せただろうか。

一番前で聞いていた男の子の大きな目を忘れない。

光村教育図書「おじいちゃんの手」より

「ぎゃあー」最近、一番びっくりしたこと

お店に入ってきたときから微笑んでいた。

「○○○先生! ゆうこです。」

旧姓の名前で呼ばれて

「ぎゃあーーー」びっくり仰天とはこのことか。

 

まあまあまあ・・・・

小さな離島の小中学校に新採として赴任したころの生徒だった。

意外にも現在は近くに住んでいて、さらにびっくり。

島は同じ名字が多いので、生徒も島の人も下の名前で呼ぶ。○○くんや○○さんは?と近況を聞きながら、なつかしさでいっぱい。思い出が次々にあふれてきて、僻地の学校での日々は、ほんとうに豊かで濃い時間だった。

漁船(当時)で2時間半揺られて、荷物と一緒に島に渡り、赤い屋根の木造の新校舎に着くと、職員室の机の上に「校歌」の楽譜。

あー、明日の始業式で弾くんだ。やばいやばい。

宿舎に古いオルガンがあったので、それで練習をして、ハラハラしながら、当日の「校歌斉唱」。

小中併せて、20人あまりの生徒たちの声が、なんと高らかですてきだったことか!

 

ゆうこさんに耳元で「ところでいくつになったの?」

「あーそうだよね。11こぐらいしか年は離れてなかったんだよね。」あの頃は若かった。

偕成社「かぜは どこへいくの」

こんにちは 赤ちゃん

妊婦さんの時にお店に来られて、「赤ちゃんが生まれたら、また来ます。」

そして、赤ちゃんを連れて再び来店されると、とってもうれしい。

ほやほや赤ちゃん こんにちは!!

赤ちゃんって 周りの空気やひとの心を浄化してくれるような気がする。すごいね。

2ヶ月、3ヶ月の赤ちゃんのママは寝不足もあり、大変だと思いますが、どうぞ、時々、大きく息をはいて深呼吸。赤ちゃんとの生活に少しづつ慣れて来たら、「たねぽけっと」に遊びにきてくださいね。

童心社「いないいないばあ」より

「かめまんねん」

小学校の昼休みのおはなし会に行ってきた。

読んだ本は「かめまんねん」

「かめの おっちゃん、おきて、おきて」こねずみが早口でいいます。

「おっちゃんは 長生きやから 時間が いっぱい あるやろ。その時間を ぼくに ちょっとわけてほしいねん」

なんのことはない、あそびたいから、かわりに宿題やってくれ、とたのみごと。「ほな、たのむで」

かめはのっそり「かめへん」

それから、動物たちが 次から次にかめのところにやってきては頼み事をするのです。

そのくり返しの展開でこどもたちにも「かめへん」を唱和してもらいました。

そこに鶴がやってきて、鶴の一声で動物たちは反省をし、「かめさん、ごめんなさい」と自分たちの好物を差し出します。どんぐり、かつおぶし、にんじん、パイナップル・・・と。

子どもたちはこのあたりで「あっ!」『ニヤニヤ』 次のことばが「かめへん」と思いきや・・・

他に読んだ本は「だいぶつさまのうんどうかい」と「おおきなかぼちゃ」

文研出版「かめまんねん」より

かしわごはんの おにぎりひとつ

「あら、久しぶり!」 昨日も来たのに。

「おいしい~」かしわご飯のおにぎりをほおばる。

「かわいいねえ」ひ孫の動画を見て喜ぶ。

「きもちがいい」湯船に浸かって言う。

その言葉を聞きに母の元へ通う日々。

娘の顔はまだ忘れていない。

ブロンズ新社「天女銭湯」より

ドングリ、ごろごろ!

ドングリ、みっけ!!

綿津見神社の裏手にありました。どっさり。

木が大きくて、背の高さのところには葉っぱがないので、何の木か気がつきませんでした。

ああ、こんなにたくさんのドングリ、せっかくの木の実がなんだか勿体ない。

りすやクマや野ねずみたちがいたら、喜ぶだろうに。

ドングリは実はころころと自分では転がれない。土に潜ることもできない。

だから、リスが土の中に隠したり、カケスが遠くまで運ばない限り、発芽はしないらしい。

学研「どんぐりむらのぼうしやさん」