「とってもうれしい宿題」

どきどき わくわく まちたんけん2年生

「わじろ小校のお気に入りのばしょをしょうかいしてください」

になんと!!  『たねぽけっと』(ちいさなえほんやさん)を紹介してくれた りのちゃん、ありがとうね!

すごく嬉しかったよ。

1歳くらいのときから、ママと一緒にお話し会にたくさん参加してくれていた りのちゃん。もう小学2年生。お姉さんになったよね。

たねぽけっとの1期生?!のメンバ-のひとりです。

 

今活動が停滞していますが、小さい子に読みきかせができるくらいの お姉さんやお兄さんになっていますよね。

そういうシーンが再会できたらいいな。くものテーブルで。

「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」

小、中学校が近くだったので、登下校の心配は無かったのですが、その分、職場の遠い母の方が先に、家を出て、当然仕事から帰ってくるのも、子どもの帰宅時間には間に合わない。

だから、「いってらっしゃい」も「おかえりなさい」も子どもに伝えられなかった。フルタイムで仕事をしている親はみんなそうかもしれないけど。

末っ子は一人、お留守番をすることが多くて、ちょっとかわいそうだった。

 

黄色い帽子や黄色いランドセルを見るのも、2学期の中頃にやっと仕事の代休の時だった。

愛おしくて。 改めて、まだやっと1年生なんだと。

今日は、お母さんが家にいるから、「ただいま」が言えると嬉しそうに「いってきます」を言って学校にいった。

学校から帰ってきた時に、

「ただいま」を言った娘の笑顔を忘れない。「おかえりなさい」

 

そんな娘も、成人し、責任ある仕事を持ち、優しいパートナーにも恵まれた。ふと、子どもの頃のことを思い出すと切ないけど、有り難いことに、四人のこどもたちは、みんなたくましく大きくなりました。

 

今日はランドセルを揺らしながら帰る、黄色いランドセルを見て、つい思い出してしまった。家庭訪問でみんな早帰りらしい。

作:三浦太郎 「おうちへかえろ」より

作:ジミー・リャオ 訳:天野健太郎 「おなじ月をみて」より

「ふるさと」

わたしが育ったのは筑豊の炭鉱のまち。 石川えりこさんの「ボタ山であそんだころ」と時代がリンクする。

どのページもうなずけるのだ。お父さんが昼間家で寝ているのは、3交代制の3番方の日。父がきげんが良かったのは、1番方で夕飯を家族で食べられる日。夕方、傘をもって、事務所まで迎えにいったことがある。

雨は上がり、傘は必要なかった。父は共同風呂から上がって、二人に気がつくと、満面の笑み。上機嫌で「ああ、迎えにきてくれたとね。」  このときの父の湯気の匂いを忘れない。

 

巻末に昭和40年に起きた、山野炭鉱のガス爆発事故のことが書いてあります。子供心に緊迫した様子を覚えています。237人の犠牲者のうちの一人はわたしの叔父でした。

その年のお盆には玄関先に無数の盆提灯が下げられました。その風景が目に焼き付いています。

 

ちなみに、わたしはボタ山であそんだことはありません。それから、お父さんのいない子どもたちは家の手伝いをよくし、たくましく、育っていったと思います。

石川えりこ 「ボタ山であそんだころ」より