「でんでんむし」と「あおむし」

朝、水まきをしていたら、ホースのところから、コロンとなにか落ちた。よく見ると、小さな「かたつむり」。

どこに、卵があって生まれてきたのだろう。もっと、大きくなるのかな?

生まれたときから、殻をせおって生きているんだね。同情するよ。あ、されたくはないか。

 

はらぺこあおむしが、私の大切な金柑の葉っぱを全部食べ尽くしてしまった。は~。残念。

パセリの葉っぱも ほとんど。おいおい!!

蝶になりたいのだろうけど、勘弁してほしい。

かたつむりは、まあいいけど、青虫はいただけないな。ちょうちょはきれいなんだけどね。

作:新美 南吉  絵:かみや しん 「でんでんむしのかなしみ」より

作:エリック・カール 「はらぺこあおむし The Very Hungry Caterpillar」より

「ハーモニカ」

今、小学校ではハーモニカって練習するのかな。

孫が、鍵盤ハーモニカと縦笛は、練習をしているのを見たことがあるけど。

吸ったり、吹いたりする、あのハーモニカは?

昔はみんな教材として、持っていた気がする。縦笛はランドセルから飛び出すけど、ハーモニカはすっぽり入るけど忘れたりする。

ハーモニカで思い出すのは、小学校の2,3年生のころ、ハーモニカのとても上手な男の子がいて、(今でもフルネームで覚えているけど) その子が吹くと、みんな聴き惚れて、自習時間でも、静まりかえるという現象がおきたものだ。しかも曲は「荒城の月」。渋い。 教科書に載っているわけでもないのに、上手だったなあ。誰かに習ったのかな~。

私の父もハーモニカは上手だった。ばっばっばっと伴奏を入れたりすることができた。晩年、記憶が遠のいてからも、ハーモニカをプレゼントすると、とても喜んで、「ふるさと」 なんかを探り探り、吹いていた。

ああ、あのハーモニカはどこかにあるかなぁ

作:あまん きみこ  絵:黒井 健 「すずおばあさんのハーモニカ」より

作:西野綾子 絵:ふりやかよこ 「ふうちゃんのハーモニカ」より

「てぃんさぐぬ花」

沖縄のことを思い出し、久しぶりに三線を弾いてみた。

調弦をして、先ずは「てぃんさぐぬ花」から。「安里屋ゆんた」。そして、お孫ちゃんが生まれるのだったら、ぜひ弾けるようになってください。と三線屋さん勧められた「童神」(わらびがみ)。

思い出しながら・・・

「オジー自慢のオリオンビール」は、もっとアップテンポで弾きたいところだが、久しぶりすぎて指がついて行かない。沖縄のしみじみとした歌や、軽快な三線の曲や力強いエイサーもいいなあ。沖縄行きたぁーい!!

作:草場一壽  絵:平安座資尚 「いのちのまつり ヌチヌグスージ」より

「折しも・・・」

新聞の一面が「米、イラン、核施設空爆」

本土攻撃、報復必須 と。

折しも、今日は「沖縄慰霊の日」。日本軍司令官が自決した日。沖縄が見捨てられた日とも。沖縄で6月23日を迎えると、本土と意識の違いを強く感じる。沖縄では素通りできない日なのだ。この日から終戦までの日々がなんと長いことか。ヒロシマもナガサキもなぜ?と思う。

『平和の礎』に24万人の名前が刻まれて、30年。敵、味方もなく、沖縄戦で命を落とした人の名前は何をかたっているというのか。平和を願わない人はいない。空爆が平和をもたらすはずはない。

詩:安里 有生  画:長谷川 義史 「へいわってすてきだね」より

「あもめ」

『ふなむし』 のことを、小呂の島の子ども達は、そう呼んでいた。

今日は綿津見神社まで朝散歩をして、海岸へ降りる道で 「あもめ」に出会った。わさわさと、あわてて散っていく。

大丈夫だよ。踏んだりしないから。

今日はいいお天気で、青い空と青い海が気持ちいい。残念ながら、遠くは霞んでいて、小呂の島は見えなかったけど。海を隔てて、つながっているんだな。ちいさな島も大きな国々も。

絵:村上 康成 「うみのいきもの」より

「進化する自販機」

「あ、ふたがついてる!」

高速のサービスエリアの自販機でコーヒーを買った。クリームのボタンも押して。

できあがったら、ドアが開き、『おや、ふたまで ついてる 』有り難い。

進化したもんだなぁ。ふたがいらないよっていうボタンも選べる。車まで運ぶのに、ふた付きの方が安心安全。冬の寒いときは冷めないだろうし。ふたに「あついのでごちゅういください」と書いてある。冷たい飲み物の時はなんてかいてあるのかな?それにしても、何から何まで、自販機の中で、至れり尽くせり。

お土産屋さんで 支払いは、『現金のみ』などの張り紙を見るとなんだかほっとする。でも焼き餅など、焼きながら現金を扱うのはちょっとね。

作:由美村 嬉々  絵:山本 久美子 「ぼくは ぽんこつ じはんき」より

 

「助手席の心得」

入退院を繰り返している頃、車の運転はもう難しいと思えた。杖をつかないと歩けない状態だったし、車の乗り降りも人手が必要だった。咄嗟の判断力も自信がなかったので、思い切って免許を返納した。買い物も病院の送り迎えも、家人がやってくれた。有り難いことだ。

そして、体調がかなり、回復し、買い物も一緒に行けるようになったし、ドライブにも行けるようになった。

先月は孫達と平戸へ。今月は二人でのんびり、湯布院と阿蘇へドライブした。

入院中に食べたいものをリストアップしていて、高森の『田楽』もはいっていたのだ。ちょっと遠いから,日帰りじゃ無理だということで、湯布院泊り。散策をして、いくつかの雑貨やさんにも立ち寄った。ずいぶん歩けるようになったことがうれしい。次の日、阿蘇の大観峰を経由して、高森へ。念願の『田楽』を楽しんだ。何年ぶりだろう。

二日間、ずっと、一人で運転させて,申し訳無い。そして、助手席では・・・・。こっくりこっくり。更に申し訳無い。「寝とってイイよ。」の言葉に甘えて。 免許を持っていたころも、家族旅行とか、ほとんど、お父さん一人で運転していたけどね。信用されていなかったからね。

運転免許があったからこそ、職場と保育園とスーパーをひょいひょい回って生活していたんだよね。雨の日も風の日も。今は助手席のこっくり免許。さびしいような気楽なような。

作:こかぜ さち  絵:わきさか かつじ 「ぶーぶーぶー」より

「ヤチュ」

本人は「ヤツ」と言ってるつもり。「○○するヤチュ」

3才児の言葉の獲得は、周りの人の言葉をまねることからと考えるならば、親だったり、保育園の先生が使っているということだろう。いっちょまえに「○○するやちゅだよ。うんそれそれ」てな具合に。

いっぱい、おはなししたい、だから、頭の中は高速で言葉を探している。言葉が見つからないときは、ママに、フォローしてもらいながら、「そうするヤチュだよ」

楽しいね、3才児。 弟として生まれて、ずっと弟の立場はかわらないわけだけど、見事にやんちゃで、お姉ちゃんに負けてなくて、ひょうきん。

でも、まだ、大人の言葉をそのまま信じる。「それは あめじゃなくておばあちゃんのお薬」っていったら、ほんとに信じて、これはおばあちゃんの「 お す く り だよね」って。心の中で「ごめーん」。 だって、ママが首を横にふるから、あげられないんだよ。飲み込んだら大変だもんね。

原案:みね よう  作:さいとう しのぶ 「あっちゃんあがつく たべものあいうえお」より